大井競馬場・場立ち予想「ゲート・イン」吉冨隆安著『実走着差 実践編』より
研修で馬の種付けを見学したことがある。ご存知のように、種付けには、牝馬をその気にする「あて馬」がいる。
容姿端麗の牡馬が近づくと、牝馬はその気になり、尾っぽをピンと上げるので、交尾が可能になる。
その途端、待機していた種牡馬が牝馬にいきなり乗っかかり、アッという間に種付け終了である。
私が見学したとき、「あて馬」として登場したのは、1968年の皐月賞馬マーチスだった。重賞を何勝もした名馬ではあるが、さまざまな事情があって種牡馬にはなれなかった馬である。
額から鼻まで白い筋が通る、なかなかのイケメンだったので、「あて馬」に起用されていたのだろう。

これが競馬のレーゾンデートル(存在意義)だ。その真実を追求するうえで欠かせないのが馬券である。
競馬の真実に肉薄したものは、的中による配当を手にし、真実に目を背けた者は、
ただの紙切れとなった馬券を眺めて悲嘆にくれる。一瞬でも真実の尻尾に触れた喜びが馬券にはある。
男前のマーチスが牝馬の首元を優しくなめるなど、求愛行動に出ると、すぐに牝馬はその気になった。その途端、乗っかかる種牡馬。振り返ってその姿を見た牝馬の表情が忘れられない。
「あなたじゃない」……なんとも悲しげな眼をしていた。
母親がだまされるようにして生んだ仔たちは、愛情のない存在、「愛なき仔馬たち」である。サラプレッドは皆、「愛なき仔馬」としてこの世に生を受けるのだ。 そんな哀しき馬たちが、自らの存在意義を追い求めて懸命に疾走しているのが、競馬である。
彼らの走る姿が美しくないはずがない。

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