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山口瞳著『草競馬流浪記』しびれるエピソード

『草競馬流浪記』の著者山口瞳さんは1926(大正15)年、東京生れ。出版社勤務を経て、1958(昭和33)年寿屋(現サントリー)宣伝部に入り、「洋酒天国」の編集者・コピーライターとして活躍され、1962年『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞受賞。1979年には『血族』で菊池寛賞を受賞。競馬に関するエッセイは多数で1995(平成7)年8月永眠されました。

山口瞳さんは中央競馬のみならず、古き良き時代の地方競馬をこよなく愛し、数々のエピソードを書き残しています。『草競馬流浪記』はそんな山口瞳さんによる当時あった地方競馬27ヵ場の完全踏破を記録した本で、1984年出版ですから今から40年近く前の本になります。

山口瞳著『草競馬流浪記』の紹介文はこんな感じです。

競馬場のある町には、他の町にはない味がある。さあ、馬券を買って旅に出よう!
中央競馬にない楽しさ、ガイドブックにない名所を求めて東へ西へ南へ北へ、全国公営競馬27カ場完全踏破。
ギャンブルを読むだけで楽しむもよし、本書をまねて自ら実践するもよし。
競馬ファンはもちろん、競馬にまったく関心のない人にもおすすめできる、本当の旅の魅力がここにある。

前置きはこれくらいにして山口瞳著『草競馬流浪記』よりとっておきのエピソードを1つ紹介しましょう。このエピソードを読む前に登場人物となる吉田勝彦さんの紹介を少しだけさせてください。

吉田勝彦さんは1937年生まれ。
春木競馬場や長居競馬場でアルバイトとして競馬の実況をはじめ、その後1956年から兵庫県競馬組合の嘱託として場内実況を担当して以降、半世紀に渡って競馬実況を担当していた競馬実況アナウンサー。

吉田さんは、2014年5月27日に『レーストラックアナウンサーとしてのキャリアーの長さ世界最長』(1955年10月1日から2014年5月27日までの58年239日)としてギネス世界記録に認定されました。そして2020年1月9日の園田競馬場での実況をもって64年間にわたる競馬実況から引退することを発表されました。

そんな地方競馬の生き字引といっていい吉田さんが語る「競馬ってのは本当にもう・・・」って話です。

山口瞳著『草競馬流浪記』より

・・・それで吉田勝彦さんの話を思いだした。

彼はそれを映画説明の調子で喋った。浜村淳でなくてもいいから、どうか、関西弁のイントネーションで読んでいただきたい。
 
昭和30年の暮のことです。暮と言っても大晦日に近い日だったんですねえ。
この日、春木競馬場で14万9860円という大穴が出たんです。
ゴール前の柵のところで腰を抜かしていたおっさんがいたんです。
幼い坊やを連れていて、ヨレヨレ、ボロボロの服を着ているんです。
私もそれを見たんですねえ。このおっさんが、その大穴を当てたんですよ。

※注 春木競馬場は、かつて大阪府岸和田市に存在した競馬場。1974年閉場
 
このおっさんは大変な競馬狂で、家の中にはお金がないんです。
それで、このおっさん、奥さんが畳の下にかくしていたお金をみつけたんです。それも八百円。百円玉が八枚です。
それを待って春木へ来たんですって。その八百円の最後の百円で買ったのが大穴になったんです。
 
おっさん涙をぼろぼろ流しまして、これで、もう、思い残すことはない。これでフンギリがつきましたと言うんです。
もう競馬はやめます。金輪際やりません。思い残すことはひとつもありません。泣きながらそう言うんです。
 まわりにいた人たちも私もモライ泣きをしましてねえ。
 
「おっさん、もう競馬はやめや」
「うん、やめた」
「その子供に餅買うたれや」
「買うたる、買うたる」
「肌着買うたれや」
「買うたる、買うたる」
「おかんに正月の晴着買うたれや」
「おう、買うたる買うたる」
 
みんな涙ながらに声援したんです。
おっさん、有難い言うて、手を合わせとるんですわ。もう競馬はやめや、言うて・・・・。
 
ところが、これに後日談があるんです。年があけて、正月の春木競馬の初日のことです。
 
第一レースの前、三十分ぐらい、こっちは商売ですから、正月でもなんでも出かけるんです。
ふと見ると、乳飲子を背負って、幼い坊やの手を引いた三十なんぼかのおかみさんが歩いてくるんです。
 その前に立って歩いてくるのが、なんと、あの大穴馬券のおっさんやったんですねえ。
 
どうも、この、競馬ってものは……。
 
そう言って吉田さんは息を呑むようにして黙ってしまった。

どうも、この、競馬ってものは……」って思ったら即座にBAOO博多にご来場して「競馬ってものがどんなものか」ご確認いただければと思います。待ってますよー!