ギャンブラーなら生涯で一度はやっていたいことに旅打ちがあるでしょう。その旅打ちも海外とくれば夢は広がりますなあ。
手元にあるこの本の帯にはこんな文面があります。


こんな二人がヨーロッパを巡る競馬珍道中、強行2週間強の旅が本書というわけです。

本の出版は1991年ですから、もう30年前ってことになりますね。

この本から一部を抜粋して紹介しましょう。

「気ままにヨーロッパの田舎をあちこち歩きたい。
各国、各地方の競馬場を見たら楽しいだろう」
こうして、責任もなければ報酬もない旅が現実となった。
欧州13ヶ所の競馬場からのレポート。
南欧編(ストラスブール・オエルド競馬場〈フランス〉
渡辺 敬一郎著『欧州(ヨーロッパ)黄昏競馬』より
・・・さて馬券だが、「ここはラクですよ」と石川さん。
なぜかというと。すでに前から何回もフランスでは馬券を買っていて、フランス中の馬券の種類やその用語が変わるわけないのだから、フランスに入ったら、こっちのもの、というい気持ちなのである。たしかに窓口にはGagnant Jumele Place…..と、私にも見なれた文字が書かれている。
このように十分に馬場もみたし、これまでのように馬券の買い方から神経を使う必要もないし私自身の腹ごしらえもできたし、準備はすべて揃ったのである。
あとは馬券を買うだけだが、勝つ条件はそろっている。これで”ストラスブールの失望〟はないところだ。やはり”ストラスブールの虹〟を見なければならない。
いよいよ第1レース、障害8頭立て。なぜかレース名は
PRIX DES CHASSEURS「追跡者賞」という。
じっとプログラムを見入っていた石川さんは「これは1−2でかたいんじゃないかな」と。そしてここストラスブールの出馬表は、斤量の重い順から1、2、3……とゼッケンナンバーになっていることを発見した。
1レースは66キロの馬が、1、2番。そして3~6番が64キロ・・・というように。そうすると、かりに全出走馬が同斤量で出て来た場合は、1が勝ち、2が2着というのが順当な結果ということになるのではないか……。
このへんがきょうの石川さんの鋭い観察で、しかもこの日は迷うことなくすぐ行動に出て、例によって最低単位の10フランを1レースに投入した。
この時石川さんはまた例によっておかしなゲンをかつぎ、1−2の連複を買うのだからすぐ近くにあった21番という窓口で買おうとわざわざそこへ行ったのである。
このおまじないが効いたのか、1レースはズバリ①、②と人気通りに入り、連複1−2で3.4倍。34フランになった。
さい先や良し。「きょうはラク勝です」と気合いが入る石川さん。
このセリフが出れば絶好調である。
あらゆることに気を配りながら、私は自分の時がくるのを待っている――(チェーザレ・ボルジア)
私たちもまたこの日、この時がくるのを辛抱強く待っていたのだ。
このままなにもなく、山も河もなく旅が終わってしまうはずがない、なにごとにも起承転結、序破急のたとえ、必ずヤマはやってくる。
大爆発の時がくる。
得意満面、歓喜の時が押しよせてくる、とかたく確信してやまなかった。
だからこそ、北欧転戦であっちで負け、こっちで負け、通算1勝5敗にもくさらず焦らずにずっとやってきたのである。
いつでも夢を、いつでも笑顔で。
そして時がくるのを待っている、という表現を二重の意味の掛け言葉に使うなら私はこの黄昏競馬の旅をはじめた時から心待ちにこの日、このストラスブールの日の記載の時がくるのを待っていたのである。
と、ここまで記せば、この日ストラスブールのオエルド競馬場で私たちになにが起きたか、賢明な読者にはもう容易にご想像いただけると思う。
で、私は今回にかぎり私のタブーを破ってまず結論を記してしまおう。
私は自分が読む立場でも、特にストーリーのあるものは最初に結果が書かれ、その理由が述べられるというスタイルは嫌いだ。
Aは死んだ。その死因というのは……と時間を過去にもどして記述するという、あれだ。
私自身が書く側に回った場合でも、そのスタイルはとらない。
だから、この黄昏競馬の旅でも、なるべくいま記録しているその先はどこへ行くか、次はどこかさえ伏せておくようにしている。だいたいどこへ行くかはわかるが、そこまでに至るパターンは常に未知であることが旅のたのしさと思うからだ。
そうでありながら、今回だけは結果を語りその戦果を得意満面に、そしてもう一度だけそのビデオをたのしみたいという気持ちで、フラッシュバックスタイルをとらせていただいた。それほどにこの日は私たちにとっていい日、すばらしい黄金の日だったのだと、お察しいただきたい。
前置きが長いが、結論を話そう。
この日私たち連合軍(正確には石川さん一人だが)は25万円を越す純利益をあげたのである。その魔神も避けよというもののみごとな速攻というか、閃きで。
で、その成果もさることながら、霊感、ヤマ感、第六感の石川さんの馬券攻撃の妙をここにお伝えしたいのである。
第1レースで石川さんの直感があたり、1−2が的中した。それを2レースの1−2にころがそうとしていたら、地方新聞の記者につかまってインタビューされている間に窓口が閉まってしまい買いそこねたら、結果は5-6で幸運を得た……。
これで石川さんも私も、きょうはツイているという予感をびりびり感じた。で、それじゃ3レースに1−2が出るだろうと、何げなく二人で話すうちに一致したのはそのことであった。
1レースで増えた3フランをころがすのがこれまでの私たちの方法だが、ものすごいヤマが来ているという感触から、私たちはここで大勝負に出ることにした。旅の最初から少し余分にフランは造っておいたのだが、そのうちから1000フラン(4万円)を1−2の一点勝負に出ることにしたのである。
石川さんはそれをまた21番の窓口に入れた。この24番の窓口というのが勝利の秘密だったのだ。その時まで私は石川さんが1−2を買うからそのゴロ合わせに2番で買うと、ただそれだけと思っていたのだが、実はもう一つ石川さんにはお目当てがあったのだ。
それは、この21番の窓口に若いマドモアゼル、正真正銘の美女がいたのである。だいたいラテン民族の女の美しさは格別でイタリア、スペイン、フランス共通の美があるが、フランスの女性は中でもいちばん洗練されている。この清楚で、かつあでやかなフランス美女からチケットをもらうことに石川さんの目的の半分ぐらいはあったのだ。
ここでその時の石川さん自身の回顧を紹介しよう。
「メルシ、ダンケ、サンキュー”。21番の窓口嬢はおどけて三カ国語で礼を云い、かわいらしく片目をつぶってみせた。それだけでもうハズれてもいい気分になったが、なんとこれがまるで絵に描いたような1番と2番のマッチレースで、配当はちょうど3倍つき、ぼくの馬券は12万円になった」(『紳士は競馬がお好き』)
まったくもう、こちらは旅の命運を賭け(と云うほどのことではないにしても)、いってみれば歴史にみる桶狭間の戦い、ポワチェの戦い、レパントの海戦きながらに呼吸を止めて勝負の帰趨を見守っているのに、当人はたかだか窓口の美女に片目をつぶられただけで、もうハズれてもいい気分になっていたとは。
何回かの“そのまま”コールのあとに、私たちはなおしばらく歓喜の時を味わい、配当をたしかめ、ちょうど3倍であろうがなんであろうが、とにかくこれで3000フラン(12万円)になったのだから、もういうことはない。
この時になってはじめて石川さんは、あの21番の女性は本当の美人だから、今度は同じところで私にも買えと奨めたのである。一人でじっとたのしみを独占してしまうことができない人なのである。
それでなんの気なしに私も21番の窓口をのぞいてみると、これはたしかにいままでの旅で会った女性の中でも図抜けたタマだと意見が一致したのである。石川さんがふらふらとするのも無理はない。
しかしあえていわせてもらえば、私はその日21番の窓口でついに馬券は買わなかった。のみならず、なるべくそこに近づかないようにしたのである。あくまでもその女性は石川さんとの相性による幸運なのであって、私がそこに割りこんで行ったとたん、石川さんの、つまるところは私たち連合軍の幸運は飛び去ってしまうかもしれないと思ったからだ。
さて、その3000フランをどこにどう持っていくかが次の勝負の鍵だ。しかしそれは・・・・

続きは本書でどうぞ!
旅打ちの気分を味わいたくなったら、BAOO博多へお越しください。あなたにも今日は幸運が待っているかも・・・
