競馬必敗法 寺山修司著『馬敗れて草原あり』より
「競馬必敗法」を研究しているヒマな男がいる。
山野浩一という男である。
彼は何年間か競馬に投資したあげく、「柔」を唄っている美空ひばりの心境に達したものらしい。
曰く、
勝つと思うな 思えば負けよ
負けてもともと この胸の・・・・・・
というわけである。
彼の本箱にはご多分に洩れず『競馬必勝法』とか『競馬作戦要務令』とかいった本がズラリと並んでいる。たった一冊の『競馬必勝法』を買って読んだばかりに、一生を台無しにしてしまう競馬ファンは少なくないが、彼はどうやらそうなって家財を売り払う前に、この「競馬必敗法」の哲学をうちたてたものらしい。
中央競馬会発行の『優駿』に書いた彼の「競馬必敗法」によると、「予想屋」などというのは不要であって、「理想屋」が必要だというのである。
「予想屋」はレースの偶然を予想するが「理想屋」は、勝たねばならない名血の馬を想定するということらしい。彼は、先祖伝来の家伝の障子紙のようなものに馬の血統の流れを書いたのをもっていて、「名血の馬こそ勝つべきだ」と理想する。
一九六五年の日本ダービーでは、血統からマサユキという馬を理想して大損し、このところ特別レースでは毎回マルトキオーを理想しては損ばかりし続けている。
しかし、それでも「名血のほまれ」を夢見続けるあたりは、ゲルマン民族の名血のほこりのためにたたかって、国家必敗法に殉じたアドルフ・ヒトラーに似ていないこともない。名血という思想は、いわば差別の思想である。フラストレート系やフロリースカップ系に生まれた馬というのは、人間でいえば「有産階級」に生まれたというほどの意味である。
「しかしねえ」とキャバレーの用心棒をしている立花がいった。
「競馬の面白いところは、ダメな家系の馬が、いい家系の馬をやっつけて見せるってところにあるんじゃないですかね」
「それはそうだ」と私はこたえた。
「人間の社会じゃ、なかなかそこまで行かないからね」
「ダイアンケーの倅のダイコーターが、血統馬を次から次へとやっつけるレースなんてのは、競馬の醍醐味ってもんだよ」
「そうそう」と立花もアイヅチを打った。
「百姓の家で生まれた俺でも、何だか財産家の家で生まれたドラ息子たちに<勝てる>ような気がしてくるもんね。だが、山野さんの<競馬必敗法〉ってのは、血統馬ばっかり買ってりゃ、必ず敗けるっていうインテリ好みの逆説なんでしょう」と立花がいった。
「いや、そうじゃないよ。彼の真意は、血統馬がもっともっと勝つべきだってところにあるらしいよ」
「ふうん」と立花がアゴをなでた。
「山野さんってのは、宮様のシンセキか何かですか」
「ところがちがうのさ。あいつは〈名血〉でも何でもない。大阪の呉服屋の生まれで、仕事のほうじゃ名血相手に、悪戦苦闘してるってところらしいよ」
「わからんもんですね」
「そう。わからんもんだ」と二人はひとしきり、ブランディ・ジンジャエールを飲んでわかれた。
帰ると、虫明亜呂無の『スポーツの誘惑』という本がとどいていた。この本は野球やボクシングなどについて書いたエッセイを集めたものだが、中でも「野を駆ける光、競馬について」とい章が面白かった。
これは人生を競馬にたとえた小説風のエッセイだが、戦後の競馬論の中でも、もっとも感動的なものだろうと思われる。一つのレースを見ているうちに意識の中を駆けめぐっていく、少年時代から戦争を経て戦後にいたるまでの、さまざまなイリュージョン(幻想)を書いた詩のごとき珠玉篇である。これを一気に読んで、ベッドに入る前にブランディを一口だけ飲み直して、さてあすのために競馬新聞をひらく。
「必敗法」というのはUnder-dog(負け犬)の思想である。
競馬に負けるものは人生にも負ける。
だからこそ、何が何でも、勝たねばならぬのである。

寺山修司著『馬敗れて草原あり』目次
【私の競馬ノート】
死神
ダービー探偵のでまかせの推理
思い出のバスター
悪の華ジルドレ
戦いを記述する試み
肉
ダービー紳士録
夕陽よ、急げ
競馬新聞の文章
友よ、いずこ ほか
【ケンタッキーダービー報告】
ダンサーズイメージへの賭け
裏切りと謎
【モンタヴァル一家の血の呪いについて】
カブトシロー論
モンタヴァル一家の血の呪いについて
【抒情的な幻影】
抒情的な幻影
英雄裏町に来たり
一時代一レース
【スポーツ無宿】
2人の女
草競馬で逢おう
競馬メフィスト
クリフジはいずこに
畜殺場の英雄 ほか
【競馬場で逢おう】
競馬場で逢おう
4‐2は死人の番号
八百長の掟
競馬必敗法
シンザンを必要とする時代
シンザン-わが愛
事件の核心
フジノオーという名の希望 ほか